004:共生虫
1990年代末。
埼玉と東京の境目にある町。社会になじめずに引きこもりになった20代前半の青年ウエハラは、死んだ祖父のからだから糸のような虫が飛び出し、自分に入ってきたという奇妙な記憶をもっている。
そのことを誰にも話していなかったが、あるネットの匿名掲示板に書き込むと、掲示板のメンバーたちは秘密のアドレスをウエハラに開示し、そこにはウエハラにとりついた虫が「共生虫」という破滅に近づいた人類を暴力によって選別するためのサインだと解説されている。
共生虫に選ばれたことを知ってスイッチが入ったウエハラは、父をバットで撲殺し、兄に重傷を負わせて部屋を出て行き、ネットで見つけた閉鎖された防空壕に住もうと思いつく。
掲示板に行動を報告しながらたどりついたいまは広い公園になっている防空壕跡地には、山奥に大量の毒ガスの缶が遺棄されており、ウエハラは掲示板のメンバーを防空壕跡地に誘い出し、毒ガスで殺し、新宿の雑踏に紛れてしまう。
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引きこもりが外界に目的を見つけ、部屋を出て社会に戻っていく物語だ。しかし更生とか適応とかいうやり方ではなく、人を何人も殺しながらだ。常軌を逸した無差別な暴力が多く描かれる。
反社会的な小説だが、犯罪とか異常性を書きたかったわけではないだろう。単純な目的を持ち、社会的な取り決めに従わずに行動するウエハラを通して、目的がなく行動や感情を操られている人間たちをあばき出し、両者のズレを細かく刻んで書いている感じだ。作者は善悪を問う気がない。
精神科医によって薬漬けにされ、なんの気力もなかった引きこもりのウエハラは、掲示板からの反応で自分を肯定する糸口を見つけ、一気に成長していく。家族を捨て、生活圏を超え、自分で防空壕という居場所を設定し、調査して傷つきながらも到達する。防空壕の入り口を探して山を登るシーンでは、からだを使って生きていく方法を山の岩や木の根からじかに学んでいく。
この小説は、目的は人を変えるということを多分教える。物語の終盤で実在しないことが示唆される共生虫は、「目的」のメタファーだっただろう。作者はあとがきでもっと端的にそれを「希望」と呼ぶ。
だが、啓蒙はいつも下らない。この小説の凄さはテーマよりメッセージより、細部と描写であり言葉ひとつひとつだ。ラストの新宿の雑踏はまさに絶え間ない名詞の連打によって描かれ、世界が音を立てずに絶叫しているようだった。数ページにわたって延々と続く花田の手紙や掲示板の書き込みを読んでいるとき、これは読書体験とはとても言えないと感じた。ほとんど怪文書だ。そして、作者はそういうやりかたで、小説にとっての「希望」を表現しようとしたのではないか。
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