002:白痴


第二次大戦中、敗戦寸前の東京。詐欺師や色情狂のババアや親のわからない子を妊娠した娘や家畜たちがゴチャゴチャに住むうらぶれた町。

そこでボロ小屋を借りて暮らしている27歳の「伊沢」は、映画会社で事実を歪曲したニュース映画を制作して生活しながら、自分も含めた人間全体を軽蔑しているヤケクソ気味の青年だ。金、世間体、欲、卑しさとケチくささがむき出しになった社会に怒り、疲れ、嫌気がさしていたが行き場はない。いっそアメリカ軍の大空襲で全てが破壊されればいいとさえ思う。

 伊沢の小屋の近所には、狂人の一家が入口のわかりにくい奇妙な屋敷に住んでいる。伊沢にはゲスで俗物な人間より狂人たちのほうが慎み深くてマシだと感じる。狂人の妻は、美女だがうわごとしか言わず全くコミュニケーションがとれない「白痴」(知的障害がい者)の女性だった。

ある日、白痴が伊沢の部屋に勝手に入ってきた。面倒がる伊沢だったが、その態度からどうやら彼を愛しているらしいとわかった伊沢は、はじめて他者に愛着を持つ。自尊心や性欲よりもいじらしさや守りたい気持ちから、伊沢は周囲に隠れて、白痴と同棲をはじめてしまう。 あまりに無知で無垢な白痴は美しくも醜くも見え、崇拝と嫌悪の気持ちを同時に呼びおこす。一晩中髪を撫でていたいほど愛しているのに、その死体を見たいとも思えるほどで、伊沢は混乱してくる。

そんなときついに、町に空襲が来る。爆弾の雨で憎悪していた人間の社会が燃えていくとき、伊沢は燃えるボロ小屋に戻り、逃げ遅れた白痴を助ける。戦火の中で二人は奇跡的に生き延び、夜になって空襲はおさまる。近くにある学校に避難するよう警官に言われた伊沢だったが、眠ってしまった白痴のそばにつきそったまま、夜明けを待つ。そして朝になったら二人でできるだけ遠い駅に歩きはじめようと決める。


 書き出しは

「その家には人間と豚と犬と鶏と家鴨が住んでいたが、」

で、何の前置きもなくいきなり話が始まる。ハンマーで殴りかかるような強引な文体だ。長くない小説の書きかたの見本になる。

伊沢は生活でも精神でも常に正反対の要素に引き裂かれていて、だからといってどうしたいという希望がない。これは戦時中の日本人の精神状況に重なるのかもしれないが、生々しいというよりどこか寓話的な空気に仕上がっている。汚れて毒の濃い世界観を書いていながら、作者は読者を追い詰めないようにしている、そこが作品を虚ろで悲しいものにしている。だからこそ、最後に伊沢が思いついた「できるだけ遠い停車場に行こう」という「希望」だけがあっさりとリアルだ。

発表は1945年。

「こころ」の丁寧に言葉で臨場感を詰め詰めにしていくやり方とは全然違う。 だが、似ているところもある。「こころ」の書き出しは

「私はその人を常に先生と呼んでいた。」

だ。どちらも「その」、で切り込んでくる手法が同じだ。


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