000:くまちゃん


社会人になったばかりの苑子が、お花見の飲み会に無断で紛れ込んできた奔放で無責任な男「くまちゃん」と恋に落ち、彼に振り回され、我を失い、やがて破局し、自分の生活を取り戻したころに、思いがけなく「くまちゃん」を理解するきっかけを得る。

苑子は「くまちゃん」と出会う前からも、恋人に充足したことがなく、どちらかといえば恋をするたびに嫉妬や自己嫌悪を募らせてしまう女性だ。彼女の生態がドライというか力の抜けたというか、独特の整頓された文章で説明され、ときに滑稽に感じられるほどである。この文体に凄みがあり、特に前の彼氏と別れるまでのくだりには、他の女を憎悪して殺意を抱くまで停められない苑子がみるみる病んでいく過程が描かれているのに、一切の憐れみや乱れがなく、ずけずけと描写されることが、すさまじく恐い。「くまちゃん」は全体としては小さなドラマだが、自分にはサスペンス小説よりもよほど恐ろしい小説だった。

たとえば同じ短編集に収録されている桐野夏生の「アンボス・ムンドス」のほうが、幸福や恐怖や良心や倫理といった主題に対して、よほどナイーヴで、かつ親切だ。 「アンボス・ムンドス」にこんな文章があった。「あの人は、輝く世界の裏には、無慈悲で残酷で、有用なことなど何一つない暗黒もあるのだということを教えてくれたのです」、これが「アンボス・ムンドス」の主なテーマだ。いわば暴露趣味であり、読者に対して常に挑戦的だ。

対して角田光代の「くまちゃん 」は、そうした「無慈悲で残酷で、有用なことなど何一つない」有象無象が、すでに剥き出しになっている場所で書かれている。登場人物は、欲望や甘えや無力感、怒りや面倒臭さや裏切り、恥や後悔や疲労の中を常にうろうろしており、だからこそいっとき心を洗うような発見をもたらされる存在で、読者はそうした人間のあり方を真実として明かされるというよりは、小説が始まった瞬間にいきなり彼らの輪の中にいる。まさに井の頭公園の同じ桜の下でビールを酌み交わすほどの距離でだ。そして読み進めるごとに、このろくでもない恋愛ドラマと、朝まで酒を呑むように、最後まで付き合わされることになるのだ。