001:こころ
大学卒業を控えた「私」は、鎌倉の海水浴場で外国人を連れた年上の男性と知り合う。どこか謎めいたその男性を、「私」は「先生」と呼んで慕うようになる。「先生」は無職だが、奥さんと東京に家を持ち、肉親の遺産でつつましく暮らしている。子供はなく、大量の書物を読み、その言動には芯の通った思想が感じられる。 交流が深まるにつれて明らかになっていく「先生」の思想は、人間すべてに対して気持ちを許すことのできない、いわば厭世的な考えだ。金が人間を狂わせるとか、奥さんを愛しているがどこかで信じていないとか、「先生」が吐露する教訓は若い学生である「私」を困惑させる。「私」はなぜ「先生」がそうした考えに至ったのかを問うが、くわしく答えてくれない。「先生」は雑司が谷にある友人の墓に必ずひとりでお参りに通う習慣をもっていて、それが関係しているのかもしれないが、何も教えない。「先生」は秘密が多い。「私」はムキになって問い詰め、ついに「先生」はいつかすべて教えると約束するが、その場では何も言わなかった。
そのうち、「私」は卒業するが、「先生」にかぶれたせいか働く気がわかずに無職になる。父親が死病にかかり、体調が思わしくないので故郷に帰り、母とともに家族で介護にあたる。父親は思いのほか元気で、かと思えばいきなり卒倒するということを繰り返す。緩やかに衰弱してゆく父に心を痛める「私」は、一方で家族から無職でいることや、東京での「先生」との関係を胡散臭く見られて不愉快な実家暮らしを過ごす。仕事を紹介してもらうために「先生」に手紙を書くが返事がなく、かわりに、ちょっと会いたいから東京に戻ってきてくれという要件のハッキリしない電報が届くが、父の容態が悪化してきて家族が集合して看病していたところだったから仕方なく断る。
それからしばらくたち、父がいよいよ危篤に陥ったそのとき、「先生」から非常に長い手紙が届く。チラッとだけ読んだ手紙の末尾に、「先生」が自殺するつもりだという内容の文章を見つけてしまった「私」は、思わず病院を逃げ出し、東京行きの電車に乗ってしまう。そして車内で「先生」の手紙を読みはじめる。そこには「先生」がなぜ人間を信じられなくなったのか、その理由が自叙伝として明かされている。
「先生」は若くして親に先立たれ、叔父の世話にひきとられる。大学まで入れてもらうが、資産家だった両親の莫大な遺産を叔父にかなりだまし取られて人間不信になる。故郷とは絶縁状態になり、それでも手元に渡された金品で働かなくても生活の心配はなく、恨みと傷を負ったまま鬱鬱とした無目的な大学生になるが、軍人の未亡人が娘と一緒に住む家に下宿させてもらうことで少しずつ人間との交流を回復していく。自分の過去を打ち明けることができ、娘に恋をする。
そんな頃、「先生」はKという友人を得る。Kもまた家族親戚と金がらみでゴタついて絶縁、頼りのなくなった極貧の学生だった。そしてKなりの潔癖さと正義感に溢れていて、ともに厭世的な「先生」とKは、人間のあり方や生き方について彼らなりの宗教的で抽象的な議論をたたかわせる特別な友人関係になる。「先生」はKを下宿に住まわせ、未亡人とその娘を紹介する。「先生」よりさらに人間嫌いなKは、最初とてつもなく無口で付き合いが悪かったが、だんだんその共同生活に慣れてくる。
すると、「先生」は次第にKと娘が仲良くするのを警戒してしまう。Kとはこれまで恋愛の話などまったくしていないのに、「先生」は勝手に気にして奇妙な三角関係が生まれ、ますます娘への想いが募り、落ちつかず、娘を嫁にもらうために未亡人に直談判するかしないかジタバタ葛藤しているうち、突然Kから、娘に恋してしまったことを告白される。不意打ちの相談にショックを受けた「先生」は、Kを全否定する。恋愛なんか堕落だと責めまくってしまう。現にそれはKが普段から標榜していた思想だった。そしてKがヘコんでいる隙に、「先生」は未亡人に告白して、娘との結婚を決めてしまう。「先生」はKを裏切ったことを後悔するが、直接謝ることができないでいるうちに、何も知らない未亡人がKに結婚のことを教え、数日後の深夜、「先生」は部屋で自殺しているKを発見する。
Kは遺書を残していたが、そこには「先生」から裏切られたことはバラされておらず、死の真相は誰にも知られていない。「先生」は奥さんにもすべてを隠したまま、今までずっと生きてきたが、Kをだまして結婚した娘=奥さんと暮らす幸せな生活は、同時に常に自分が犯した罪に苦しめられる地獄でもあった。「先生」は罪悪感に耐えてきたがもう限界になってきて、自殺を決意する。その前に、「私」にすべてを手紙で明かしたのだった。
謎の男「先生」に翻弄される「私」の葛藤を手記の形式で描き出す前半と、「先生の遺書」の文面からなる種明かし的な後半部分で構成されている。 テーマはそのまま「こころ」だ。恋、友情、血縁、金、世間体、明治という時代と慣習のしがらみのなかで個人(つまり「ワタクシ」のことだ、)が、どのように葛藤するかが描かれる。
「こころ」がどれだけ脆く柔らかいか、という話に思える。確固たる生き方、在り方、精神の高みはKと「先生」の若々しい議論のなかにしかなかっただろう。「私」は「先生」に、「あなたは真面目な人だから」と言われるが、実家に戻れば血縁や世間を面倒がって行動できない。真摯さと現実逃避は裏表だ。その表裏こそ「先生」を自殺に向かわせるロジックなのだが、「決して誰にも言わないでください」と「先生」が書いた遺書が、まさに読者の前に開示されているという小説的な仕掛けによって、語り手としての現在の「私」がどういう「こころ」でいるのかを、作者は読むものに問いかけている。
が、そういう筋やテーマよりも、深刻なのに変なユーモアがある文体、仕草を書いて感情をあらわすという徹底した細部の描写が、「こころ」というこの抽象的なテーマを語るために不可欠だっただろう。
友情を取るか恋を取るかで悩み、煩悶の末に自分で選択した結果、奥さんを残して自殺してしまう男に自分は心惹かれない。生きていればもっとしんどい選択をいくらでもしないといけないし、そういう障害はだいたい金や家族や仕事を守るために起こる。働かなくても生きていけるやつらにはわからない。勝手にくたばれとまでは思わないが、悩みは切実ではなく、説得力もない。
、、、はずなのだが、そんな自分にとっても、この小説は怖いほど迫力がある。情景が浮かび音や匂いがわかる。感情には共鳴しないが、空間や時間を感じた。「先生」の遺書を読んでいる間中、印刷された文字を追っているのに、耳に電車の車輪が軋む音と、線路の振動をはっきり感じた。手書きの文字も、紙の手触りもわかった。 この臨場感の出しかたを、作者がどういう手法でやっているのかわからないが、自分が書くときにもこれをやらないときっといい作品にならない。
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